日本配合飼料株式会社

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社章

日配(ニッパイ)

昭和3年三井物産らにより日本配合飼料研究所が設立され、この時から日本の日と配合飼料の配をとり通称日配(ニッパイ)と呼ばれるようになった。昭和4年法人組織化し、日本配合飼料株式会社となり現在に至るまで多くの人々に日配(ニッパイ)と称され、親しまれている。

 昭和4年 創業の時代

昭和2年、国は鶏卵増殖10年計画を策定。我が国の養鶏は黎明期を迎える。トウモロコシなどの飼料原料が輸入され、混合飼料として使用される。しかし科学性、合理性に乏しいため飼料の研究が始まる。当時、養鶏には青菜給与が必須条件だったが、実際には大変困難なことであった。そのため、国立畜産試験場の鈴木幸三、波多野正博士らによって緑餌不要の配合飼料を創製。三井物産(株)、木村徳兵衛商店(現・木徳神糧(株))、館野栄吉商店(現・(株)タテノコーポレーション)は協議のうえ、配合飼料の企業化を決定。昭和4年10月1日、資本金6万円で日本配合飼料株式会社を設立。横浜市守屋町に工場を建設し、「三井印完全配合飼料」の製造を開始。我が国、配合飼料産業の幕開けとなる。三井物産のような本邦屈指の大会社が配合飼料製造を、率先して事業化したことは、その後の我が国飼料業界発展に大きな影響を与えることになった。

 

昭和6年4月には月間1000屯の販売を達成。販売地域も関東から全国に広がるにつれ、名古屋工場、門司工場を建設。飼料銘柄も養豚用、畜牛用と増加。昭和9年には中国の大連に進出し、月産1万屯工場を建設。国内も他メーカーが輩出し、昭和10年には20工場、16企業に達する。昭和12年、日支事変勃発。戦時態勢化、昭和13年飼料配合統制法が公布。昭和17年には企業整備令により配・混合飼料の生産が縮小。原料入手難により、事実上操業不能の状態。畜産業は壊滅的な打撃を被る。戦時には馬の栄養剤などを製造。このため、昭和19年から昭和25年まで、社名を日配薬糧(株)と変更。
昭和20年、門司工場、名古屋工場が戦災に遭う。横浜工場は辛うじて免れ、その後のニッパイの復興に役立つ。敗戦により、在外資産は接収された。

 昭和25年 戦後発展の時代

戦後の我が国農業は、自作農、有畜農業に変貌し、食生活の向上と相まって、養鶏、養豚、酪農が盛んとなる。昭和43年には全国で年間1000万屯もの配合飼料が生産され、畜産経営の発展に不可欠なものとして需要が定着、ニッパイも三井物産(株)を総代理店とした販売網を整備、拡大。販売量は増加の一途を辿り、昭和47年にはメーカーの努力によって年間100万屯販売を達成。
又、飼料の生産・供給体制を整備するため、第1次として、昭和25年の名古屋工場更新を手始めに29年、32年に神戸、横浜工場を新設し、需要に対処。しかし畜産の興隆により、全国的に供給が必要となり、昭和40年前後に、千葉、塩釜、知多、鹿児島などに工場を全国配置。月産10万屯もの供給体制を確立する。

 

昭和40年頃より、畜産は飼養規模の大型化、レイヤーのケージ飼育、外国鶏の導入、ブロイラーにおけるバーチカルインテグレーションの展開など、飼養形態や生産性、システムも長足の進歩をとげる。飼料販売も20kgの紙袋から屯単位に。又、昭和38年頃よりトランスバックによる輸送を開始し、その後、飼料はバルク単位の輸送が主流となる。業容の拡大から資金需要が旺盛となり、昭和44年には東京証券取引所市場第一部に上場。資本金は12億9千万円となる。

 

ニッパイは「よい種畜、よい飼料、よい管理・・・よい畜産物を通じて社会の繁栄を願う。」をモットーとし、ユーザーの信頼は高まる。

 

昭和34年に研究場に本館を新築し、研究体制増強により中央研究所と改称。昭和63年には茨城県に移転し、水産開発センター、内海バイオテクノロジーセンター共々技術開発態勢を強化。

 

飼料の開発については、戦後は創立当初の理念を引き継ぎ、発展期においては業界に先駆けて、栄養理論を具現化したものや、特許製法によるものなど先進的な製品は30余種類にも及ぶ。その経過をみると、30年代は新技術の製品化、40年代は体系化し飼養管理にマッチしたもの、50年代は省力化や畜産物市場の要求、ハイブリット化された畜種への対応など、畜産経営面からのニーズを先取りした形で、集大成。一方、開発分野も養魚飼料、実験動物飼料、ペット飼料、養蜂飼料、生物教材飼料など多角的に取り組む。

 昭和50年 成熟、革新の時代

成熟、革新の時代 写真昭和50年代になると、畜産物生産が需要を上回り、生産調整など行政レベルで実施。飼料産業も過当競争に入る。さらにトウモロコシの暴騰、市況の大幅変動、為替の大幅円安など、これらの乱高下が畜産業界を直撃。ニッパイも多大の影響を被る。畜産経営者は生き残りを模索。一方、消費者ニーズ対応型への転換時代となり、大型量販店も強大化。畜産は生産過剰の一方、規模の拡大と主産地の形成が進展。

 

こうした中ニッパイは、昭和54年に合理化推進本部を設置。飼料製造体制の
立地、生産性のアップなどを勘案したスクラップアンドビルドの実施、社内体制の軽量化とオフィスオートメーションの採用、事業の多様化、研究開発の強化に取り組む。昭和53年に設立された日配飼料販売(株)は平成元年3月には製販一体のもと100%子会社となる。昭和50年代後半設立の新鋭工場は大方合弁事業方式をとり、昭和63年10月に鹿島飼料(株)を設立稼動し、関東圏での製造体制を強化。

 

平成元年ニップン飼料(株)の営業譲渡を受け、事業の規模拡大と事業基盤の強化を図る。

 平成5年 多様化・国際化の時代

事業の多様化を図ると同時にFEEDからFOODへの拡大を志向し関連会社方式のもと、種畜の取扱い、家畜の飼養、畜産物処理、加工も手掛ける。こうしたノウハウの蓄積を通じて、平成時代の飛躍を期す。平成7年4月に苫小牧飼料(株)が稼動し、畜産基地北海道での製造体制の整備と販売強化に取り組む。

 

平成10年12月、横浜市神奈川区守屋町の横浜工場跡地に自社ビルを新築し、本社機能を横浜市神奈川区鶴屋町から移す。

 

平成16年に中央研究所でISO9001(品質環境マネジメントシステム)を認証取得した。又、同年4月に日本農産工業(株)、三菱商事(株)、三井物産(株)との4社業務提携を締結し、平成17年5月に南東北地区における配合飼料製造を目的とする仙台飼料(株)を設立。

 

平成17年3月BSEに対する安全安心な製造体制完了。

 

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クロマグロ事業

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